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| 日本のお茶も英国の紅茶も、そのルーツは中国茶。すべて同じツバキ科の茶樹からとれるのです。では、なぜ色や香りに違いがあるかというと、作るときの工程が異なるからです。同じ茶樹からとれるというのに、その発酵度数によって、さまざまな香りと色で私たちを楽しませてくれるお茶。そのお茶についてのお話です。 |
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伝説によると、東洋医学の始祖と言われる「神農」が木陰で休んでいたところ、湯飲みの中にお茶の葉が1枚舞い込んできて、それを飲んだのが始まりという説と、「神農」が野山を駆け巡り、身近な植物の試食をして、1日に72にものぼる毒にあたり、お茶の葉を用いて解毒をしたという説があるようです。が、どちらも神話の中の話で、事実はさだかではありません。残念ながら、中国でお茶が飲まれ始めたのはいつ頃なのかは、はっきりしていないのです。しかし、人類と茶の出会いは非常に古く、元来お茶は日常の飲み物ではなく、薬として飲まれていたようです。
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唐代(618〜907年)には「茶聖」と呼ばれた陸羽が「茶経」という本を著しました。この「茶経」は、現在でも、茶をたしなむ人たちの聖典となっています。ちなみに、茶経が書かれたのは、日本では奈良時代にあたります。この唐代になって、お茶は広く日常のものとなり、さまざまな茶器も考案されました。また、皇帝にお茶を献上する習慣が始まったり、課税対象になったというのも、この時代です。当時のお茶は、団茶(トウアンチャア)と呼ばれる茶葉を丸く固めた、固形茶を削って煮出すものが主流でした。
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散茶(サンチャア)と呼ばれる、ばらけた茶葉が主流になったのは、なんと明の時代(1368〜1644年)のことです。1391年に時の皇帝「朱元璋」が団茶を造るに要する労働の重さを鑑み、団茶の製造を慎むようにとのお達しを下しました。そして、献上されるお茶も散茶となり、製茶の技術も改革され現在に通じる銘茶の基礎ができあがったのです。
この頃、我が日本は、どんな時代だったかって?『1192(いいくに)造ろう鎌倉幕府』って試験勉強で覚えたでしょ?その鎌倉時代が幕を閉じ、将軍足利義満が1397年に金閣寺を建立して、一休さんと、とんちのかけあいでもしていたんじゃないでしょうか?(ほんとかな!?) |
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| さて、ヨーロッパにお茶が伝わったのは、15世紀のことで、最初にお茶を輸入したのはイギリスではなく、1610年にオランダが輸入を開始しました。その後、フランス、イギリスと続いて、ヨーロッパで広くお茶が広まりました。もちろん、紅茶ではなくて緑茶などの中国茶です。イギリスといえば、この国は大きな2つの事件に関与しています。一つは、1773年に起きた『ボストン茶会事件』。今更説明するまでもないかもしれませんが、アメリカで需要の高まりつつあった「紅茶」の貿易に関して、一方的にイギリスに有利な取引条件を決定したことに関してアメリカ人たちが「ティーパーティー」を結成しました。彼らは、ボストンに入港した東インド会社の船を襲撃、積み荷のお茶を海に捨ててしまったのです。(もったいないですね)そして、この事件が発端で、なんと『アメリカ独立戦争』にまで発展してしまいました。 |
| そして、もう一つの出来事は、1840年に勃発したイギリスと中国の『アヘン戦争』。これは、お茶の輸入によって、赤字貿易を強いられていたイギリスが、その赤字解消のために「アヘン」をインドで生産し、それを中国に売ることによって利益を生み出だしたために起こってしまいました。アヘンのおかげで中国では、『アヘン中毒者』なども現れ、これがアヘン戦争の原因のひとつとなりました。「お茶が戦争の原因になる」とは、なんとも壮大な話ですね。 |
こうしてみるとお茶の歴史って壮大ですね。まだまだ、奥が深いお茶の歴史ですが、堅い話が長くなってしまうので、ここで歴史について述べるのは、これくらいにしておきましょう。
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